私が早朝出勤だったころ、帰ったら母は死んでいた。
当時、私は5時に出掛け、帰りは13時くらい。
その日の出勤前、母の具合が普通でないのは分かったが、人数カツカツの職場だったので休めず。
で、また、休む気もなかった。
母が死んでもおかしくはないと思っていたのだ。たぶん。意識していなかったが、頭にはあったのだ。
ぶっちゃけ言う。死んでくれと思っていた。
殺しゃしないぞ。
私が帰宅する寸前に、叔母と祖母がウチへいらして、発見されたのだ。
死因は心臓発作ということになった。開腹しないと具体的には分からんと。しかし祖母も私も開腹には賛成せず、その様に。
開腹せずとも心臓発作と考えられるそうだった。
私の帰宅時、あまりにも惨めな死に様であった、これ以上開腹など、哀れ過ぎると感じた。
もう、いいだろう。
そうして母は死んだ。
私が出掛ける前。
「もう行くよ」
「‥‥?‥?‥」
こんなやり取りが最後。母はなに言ってんのか分かんないまま、私は出勤して行ったもんだ。
なんで死んでくれと思っていたか。
私は幼少から殴られ続けて育ち、それが当たり前と思い、女性の友人や彼氏も全て母から貶されていた。
母は精神的な病を持っていた。その為に私を余計に縛った。パニック障害と不安障害だが、どれほどの重さの病だったのかは分からない。
私は生き辛かった。
母は離婚もし、再婚もし、再婚相手は私に手を出し、母は私を見捨てた。
辛く悔しかった。
その再婚相手もやがて亡くなり、母は病がひどくなった。自分の美貌を誇る余り、うっかり立場を見誤ったのだ。
前のダンナや他の男、その辺に取り入ってもう一度花を咲かせられると思ったのだ。 この時に母は50なんぼ、調子に乗らなければいくらでもいける歳だが、調子に乗り過ぎたんだよな。
プライドが高すぎるのだ。自分は美しく、大事にされて当たり前と思って疑わない人間だった。
男性たちみんなに見限られ、挙句の果てに私から40万を出させて男に貢ぎ、逃げられた(笑)
‥‥と言うわけで、私は、母は死んでも良いと思うように至った。
男の方から見限られるに連れ、ますます精神的な不安定はひどくなる。もちろん私だって頑張って母に尽くしたさ。でも、ダメだった。
面白くはないが…
いっぺん救急車を呼んだが。
あの時も早朝出勤の帰りで、家に入ると。
母は一人でソファーにもたれ、歌を歌っているのだ。幼児の好きなような歌だった。
気が狂っているなと、すぐ思った。
私に隠れて、精神科の薬を隠し持ち、一気に飲みまくったのだ。
立つことも出来ないので救急車しかなかった。
この後、3ヶ月で死んだ。
仕方ないだろう。
良かっただろう。
死ぬ前日、母は「こんな体はいらん」と言っていた。
自分の思うままにならない、こんな体はいらん、と。
私は確かに、最後の朝に出掛ける前、そんなもんはいらんやろなと思った。
あかんか。